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【訃報】世界的映画監督、今村昌平さんが肝腫瘍で死去

2006年05月31日 11:42

ソース:サンスポ

 「楢山節考」「うなぎ」カンヌ国際映画祭パルムドール(最高賞)に2度輝いた世界的監督、今村昌平(いまむら・しょうへい)さんが30日午後3時49分、転移性肝腫瘍(しゅよう)のため都内の病院で亡くなった。79歳だった。昨年6月に下行結腸がんの手術を受け、入退院を繰り返していた。長男で映画監督の天願大介さん(46)は「撮ることへの欲望が強い監督だった」と人間の業やしたたかさを描いた作品を数多く生んだ巨匠の人生を振り返った。

 撮影現場で“鬼の今平”と恐れられた今村監督は、この日午後6時40分過ぎ、東京・渋谷区の自宅に無言の帰宅をした。

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 人知れぬ闘病生活だった。自宅前で会見した二男の今村プロダクション社長、●介さん(43)によると、監督は昨年6月1日に下行結腸がんの手術を受けたが、3カ月検診で転移が判明、入退院を繰り返していたという。

 今年3月、顧問を務める日本映画学校の教職員懇親会に元気な姿で出席したが、4月11日に風邪をこじらせ入院。その後、食事を摂ることができず、徐々に体力が低下、この1週間は意識不明の状態だった。

 「痛みもなく眠るよう」(介さん)な最期を看取ったのは、51年連れ添った夫人の昭子さん(72)。映画関係者によると、昭子さんは、20代後半から糖尿病を患っていた夫を陰で支え、映画製作に私財を投じる情熱に付き合う一方で、その艶福家ぶりに気をもむこともあったという。

 今村監督にとって、女性は永遠のテーマ。人間の、とりわけ女の業にこだわった。貧しい女工が肉体を武器にコールガール組織のトップにのし上がる「にっぽん昆虫記」、男に虐げられてきた主婦が変貌する「赤い殺意」、セックスの時に水が出る女性を描いた「赤い橋の下のぬるい水」。女性のたくましい生命力を愛した。

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 遺作で、世界の11人の監督によるオムニバス映画「セプテンバー11」(平成14年)の1編を撮影後、監督が準備をしていた新作「新宿桜幻想」も太平洋戦争当時の売春婦が主人公。●介さんは「2度クランクインしようとしたが(肉体的に)だめだった。やりたかったのかな~」と話した。

 「最後まで気にしていたのは、日本映画学校のこと」と●介さん。パルムドール2回受賞は日本人で初、世界でも4人目という快挙を成し遂げ、世界に名をとどろかす一方、昭和50年に横浜放送映画専門学院(現日本映画学校)を開校。校長、理事長として多数の人材を育てた。

 長男の大介さんも映画監督。「オヤジから学んだこと? 映画はもうからないってこと。オヤジの人生を見ればわかる」。だが、「実のある仕事を沢山した」(大介さん)、「十分満足のいく」(●介さん)映画人生だった。

☆●:立に広

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今村昌平(いまむら・しょうへい)
 大正15年9月15日、東京・大塚の裕福な医師の家庭に生まれる。早大在学中に小沢昭一、北村和夫、加藤武ら演劇仲間と舞台を志すが、昭和26年、黒澤明監督の「酔いどれ天使」を見て松竹大船撮影所に入所。29年に日活に移り、川島雄三監督に師事、33年「盗まれた欲情」で監督デビュー。同年「果しなき欲望」でブルーリボン新人賞を受賞した。その後、社会派の「にあんちゃん」や喜劇「豚と軍艦」を撮った。48年に今村プロを設立。43年「神々の深き欲望」、54年「復讐するは我にあり」は映画賞を総なめに。58年に姥捨て山伝説をもとにした「楢山節考」、平成9年、理髪店が舞台の「うなぎ」でカンヌ国際映画祭のパルムドールを受賞。
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